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ロベール2世 (ドルー伯) : ミニ英和和英辞書
ロベール2世 (ドルー伯)[ろべーる2せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

ロベール2世 (ドルー伯) : ウィキペディア日本語版
ロベール2世 (ドルー伯)[ろべーる2せい]

ロベール2世・ド・ドルーRobert II de DreuxGénéalogie de Robert II de Dreux sur le site Medieval Lands 〕、1154年頃生 - 1218年12月28日)は、ドルー伯・ブリー伯・ブレーヌ伯。ドルー伯ロベール1世と、ブレーヌ領主アニェス・ド・ボードモンの子。
彼は第3回十字軍に参加し、アルスフの戦い、1191年のアッコン攻囲戦に参加した。フランスに帰国後、1195年から1198年までイングランド王国と戦った。1210年にはアルビジョワ十字軍に軍を率いて参加し、テルメの戦いに加わっている。彼は、ブローニュ伯との闘争を続ける弟のボーヴェ司教フィリップを助け、1214年のブーヴィーヌの戦いではフィリップ2世軍の左翼を指揮した。
ロベール2世と妻ヨランド・ド・クーシーは、ブレーヌにあるサンティヴド修道院付属教会の一族の霊廟に埋葬されている。
==子女==
1177年、マオー・ド・ブルゴーニュと結婚するが、子供がないまま1181年に婚姻無効となっている。
1184年、クーシー領主ラウル1世の娘ヨランドと結婚。12子をもうけた。
*ロベール3世(1185年-1234年) - ドルー伯
*エレオノール(1186年-1248年) - シャトーヌフ・アン・ティメレ領主ユーグ3世の妻
*ピエール・モークレール(1187年-1250年) - ブルターニュ公
*イザベル(1188年-1242年) - ピエルポン領主ジャン2世の妻
*アリックス(1189年-1258年) - サラン領主ゴーシェ4世の妻
*フィリッパ(1192年-1242年) - バル伯アンリ2世の妻
*アンリ(1193年-1240年) - ランス大司教
*アニェス(1195年-1258年) - オクソンヌ伯エティエンヌ2世の妻
*ヨランド(1196年-1239年) - ウー伯ラウル2世の妻
*ジャン(1198年-1239年) - マコン伯
*ジャンヌ(1199年-1272年) - フォントヴロー修道院院長
*ジョフロワ(1200年-1219年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロベール2世 (ドルー伯)」の詳細全文を読む




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